日記 噛み合わない議論

 最近Xでなされていたスピーカーセッティング絡みのやり取りを見て、近年よく目にする様になった傾向のやり取りだなと感じました。
 この点について、今回は掘り下げて考察してみたいと思います。

 まず最初に、件のやり取りに関して私の率直な感想としては、大して知識も無いのにさも分かってる風に発言したら、識者に知識不足もしくは誤りを指摘されたものの、自分が誤っていたことを認めたくないので捨て台詞吐いて尻尾を巻いて逃げたという印象。
 そして捨て台詞まで定番の言葉で、実に最近よく見るテンプレな人間だなあと。
 この手の人種は近頃特に目に付くように感じます。それがそういう人種が増えたのか、多くの人がインターネット上で発信を出来るようになったから目に付くようになったのかは議論の余地は有りそうですが。
 とは言え、こういう思考をする人間が増えたように感じるのには、私は主に理由は三つあると思っています。

 まず一つは、スマートフォンの普及と検索エンジンの発達・普及により、大抵の事は物凄く手軽に素早く調べられるようになった事。
 それ自体は悪い事では無いのですが、なまじ簡単に様々な事を調べられるために、自分が多くの事を知っていると勘違いする人が増えたのだろうなと。
 私としては、検索して得られた程度の段階の知識では、正直何も知らない状態と大して差は無いと思ってます。例えるなら、マラソンで単にスタート地点から一歩踏み出した位でしょうか。
 その後に何もしなければ数日のうちに忘れるでしょうし、その知識を覚えているにはそれなりに反復して記憶する作業が必要です。
 そして知識というのは単に覚えただけでは駄目ですし、忘れることが無いレベルで記憶してもまだ不十分。
 実践的に生かせる様になるまでは大抵の場合更に時間や経験が必要ですし、その知識を有機的に他の知識と結びつけ発展させるには更なる実践や経験、思考が必要だったりします。
 そして、それらの過程を多くの人は面倒でやらないですし、私自身も特に掘り下げたいと思うジャンル以外の知識はそんなものです。
 ですがだからこそ、専門外の事については迂闊に賢しらぶって発言しないように気を付けますし、誤りを指摘された場合はその点をちゃんと認めるとともに、指摘された方にお礼を言う様に心がけています。まあ、それが難しくて中々簡単には出来ない事でもあったりはしますが。
 また、どんなジャンルであれ学べば学ぶほど、何かを知っているという事よりも未知の方が多いという意識が強くなります。
 将棋の羽生善治棋士永世七冠を達成した時に、将棋の本質は全く分かっていないという旨の発言をされました。
 恐らくそれは謙遜などでは無く、将棋界でもトップレベルで将棋を突き詰めているからこそ、未知の大きさに気付いているという事なのでしょう。
 この辺りは研究結果などでも出ていて、ある分野について多少勉強した程度の人間の方が、一番大きな自信を持つ傾向にある事が示されています。
 その後に学びを続けているとどんどん自信を持てなくなり、そこを超えて学び続けると少しだけ自信を持てるようになるという感じです。
 これらの要因が合わさって、多少知識を身に付けた程度の人間が自信満々で発言したのは良いが、実際には大した知識が無いことが露呈する結果に終わり、かつそのことを認められないために相手に責任転嫁して、致命傷を負う前に逃げるのだろうなと。

 二つ目に関しては、頭の良い人間は難しい事を簡単な言葉で説明できるという話が、さも真実のように語られたこと。
 確かにそういう面は無い訳では無いですが、不必要に難しく説明はしないというのが正確な所でしょうし、それを分かりやすい説明という事はまあそうは言えなくもないという程度でしょう。
 ですけどそれにも限界はあって、難しい問題は結局難しいのです。
 例えば、どんなに頭の良い人間であろうが、相対性理論量子力学を一般人に分かりやすい様に説明する、ましてや理解させるなんて無理なんです。
 まあ、分かった気にさせるくらいの事は出来るかもしれませんが、言ってもその程度が限度でしょう。
 私はその手の発言を聞くたびに、いや聞く側も勉強しろよと思います。
 そしてこの事が、「自分が理解できない話は、理解できない自分が悪いのではなく相手の説明が悪い」と考える人間を増やしてしまった様に思えてならないのです。
 そんな難しい例では無くとも、普通に配信されているニュースなどを読んでいて、とても読みやすくまた示唆に富むと感じた記事のコメント欄で、言いたいことが分かりにくい、文章が下手等と書かれいるのはそんなに珍しい事では有りません。
 いや、お前の読解力不足を棚に上げるなよ、と流石に突っ込みたくもなります。

 そして最後の一つは、特に最近の若い人の中で極端に失敗を避けたがる、その傾向が高じて自分の誤りや失敗を認められない事と、そこに繋がる面として努力していない事を認められない傾向が強くなっているという事です。
 だから、単に誤りを指摘される事もそうですが、知識不足を指摘されることを極端に嫌う様です(勉強していないという事を認めたくない)。
 最近聞いて衝撃だったのですが、大学の授業で教授が生徒の知らない話をすると、授業の感想でマウントを取られているようで不快というコメントが来ることがあるそうです。
 私などはそもそも知らないことを学びに行く場で何を言ってるんだと思いますし、世も末だなあと思わなくも無いのですが、つまりはそういうレベルで嫌うという事の様です。
 そりゃ、大学の授業ですらそうなら、SNS上でのやり取りでの事など絶対に認められないだろうと。

 これらの事が総合して、議論をしていて絶対に自分の非を認められない(まあこの時点で議論になっていませんが)。そして、自分に非は無いと考える以上、非は相手にあると責任転嫁するしかない。しかし相互の戦力差は明確なので、余裕があるように見せながら逃げる、という様な人間が生まれるのではないかと考えている訳です。
 因みに、この際本人は逃げている訳では無い様に装う事が大半ですが、傍から見ると尻尾巻いて逃げている様にしか見えず、それがまた滑稽だったりします。
 私はこの手の人種に関しては、もう相互理解は無理だという事を想定して動かないと駄目なのだろうなと現時点では考えて、と言うか諦めています。
 最初から相手を排除するような態度はいただけませんが、拒絶する相手に相互に理解する可能性を見出すのは、徒労に終わる可能性が高いのだろうと。
 そもそもが論点の正しさよりも自分に非が無い事の方が優先順位が高いので、そりゃ議論になりませんよねという。

 という訳で最後に、この手の人種に対しての対処法として、中々上手い考え方になるのではないかと感じた物を紹介します。
 それは梅原大吾氏というプロゲーマーの言葉なのですが。
 ある時期、実力的にも知名度的にも何をとっても絡む必要のない人間を、配信で相手にしている時期がありました。
 まあ滅茶苦茶煽ったり舐めプを混ぜたりして完全にガチでは無いプロレスだったのですが(勿論相手はガチ)、そのレベルで手加減してやっても圧倒できる相手だった訳です。
 ある時、その配信を見ていた人からどうして何の得にもならないのに相手してあげるの?と問われた際に、「地面にゴミが落ちてて気になったら拾ってゴミ箱に入れるじゃん。それと同じ。」と返していたのです。
 それを聞いて、上記のような相手に対しても、有効な考え方になるのではと思いました。
 まあ、私自身はそういった人種に対して反応することはほぼ無いのですが、ウェブ上で情報発信する上では知っていた方が良い対処法じゃないかなと。
 そして、他者がそういった事態に巻き込まれているのを見かけた場合は、態々ゴミを拾ってゴミ箱に捨ててくれてありがとうと思う様にしています。
 ゴミ扱いされることが納得いかない?それならば、まずはゴミ扱いされない態度をするよう心がけてください。