日記 手放す機器とその判断への後悔について

 最近X(旧twitter)のTLで、一度手放した機器についてその魅力が忘れられず、後悔して買い戻すという行為が話題になっていました。
 私が見かけたポストは、その行為に対して純粋に疑問を覚えていたようで、私もそちら側の人間ではあります。
 とは言え、観察しているとある程度そういう行動をしている人の意図も見えることがあるので、その点について今日は書いてみたいと思います。

 

 まず、私自身はどのように行動しているかと言えば、以前も書いたかと思いますが、資金捻出のために機器を手放すことはありません。結果として得られるお金はまあ余禄の様な物です。
 機器を手放すのはあくまで機材整理の一環であり、これ以上所持しているのは物理的に無理になった(保管場所が無い)からというのが多いす。
 そうで無かったとしても大抵は相当に使い込んで満足したか、逆に自分に全く合わずに使う見込みが無いか、あるいは購入した際の目的が達成されそれ以上所持する意義が無いなどが大半を占めます。
 そういう訳で、私自身機器を手放して後悔するという事はほぼありません。
 一応Lynx HILOについてだけは、当時全然使ってなかったADCの機能を手放した後に使う様になり、ちょっとだけ後悔したことがありますがまあこれは例外中の例外。
 そもそも後悔しそうなものは手放さないですし、資金の面で言っても機材を売ったお金をあてにすることは無いので、猶更そういう事にはなりにくいです。

 

 しかしながら、世の中には結構な頻度で機器を売り払い、後にそれについて後悔している人もそれなりに見かけます。
 勿論それら全ての人では無いでしょうが、私が見る限りその一部は、いわば車で言う残価設定ローンのような物を自分で組んでいるのではないかと思います。
 まず新品である機種を買い、その価値がまだ残っている間に売り払い、その資金を元手に次の新機種を買う。それを繰り返す事で実質的な支出を抑えながら、常に最新機種(あるいはそれに近い機種)に乗り換え続けることを可能にしているのでしょう。実際にローンで払ってるかどうかは分かりませんがね。
 因みにこれは、機器のアップグレードでは無くあくまで新機種への更新という点がミソです。
 毎回新機種を普通に買えるならそんなことをする必要も無いのでしょうが、昨今の特にポタ環境の推移の早さと価格を考えると、実行できる人はそんなにいないでしょう。
 そして、その中で特に好みだった機種をまた使いたいと思った時に、ある程度中古価格が下がってから買い戻すという行為が発生するのだと思います。

 

 こういった行動は、どちらかと言うと車と言うよりは昨今のスマートフォンの機種変更の流れから来ているのかもしれません。
 特に高価な機種で顕著なのですが、2年後に機種を返却することを条件に支払額を抑える(その方法にプラスで割引もつく)やり方があり、まんま残価設定ローンじゃんと思ったので。
 私はキャリアで扱っている機種を購入したのは随分前なので利用したことは無いですが、最近キャリアショップに行って色々と調べものをしていてそう感じました。

 この方法は、なるべく経済的な負担を抑えながら流行を追える、新機種を使い続けられるという意味では合理的なのでしょう。
 その行動自体にとやかく言うつもりはありませんし、それもまた一つの楽しみ方なのだろうと思います(あくまで本人が納得していればですが)。
 ですが、じゃあ個人的にどうかと問われれば、あまりお勧めは出来ない方法です。


 その理由の一つとしては、まず経験があまり積み重ならない事。
 人って何事もそうですが、反復以外の方法で各種能力を伸ばすことは出来ません。
 ですが、上記のような方法ではいくら反復していると言っても、使っている道具が変わり続けるので、どうしても得られる経験が変わり過ぎてしまいます(別の経験になる)。
 その中で、特に音に対する認知能力を磨くというのはかなり厳しいと感じます。
 とは言えそれは人それぞれの部分ですし、そもそも楽しめれば何でもありなので、とやかくいう事でも無いでしょう。
 お勧めしない理由としては、もう一つの方が大きいです。

 それは何かと言えば、そのサイクルを維持するためには常に走り続けていなければいけないという事。
 次の機種に移行するためには手元の機種になるべく価値が残っていることが条件で、それは大抵の場合時間経過が大きなウエイトを持ちます。
 どれ程評価の高い機種だろうと長期間価値を維持し続けるという事は稀ですし、自分が持っている機種がそれにあたるかどうかを判断するのもかなり難しいです。
 ですから好む好まざるに限らず、一定の期間で機器を入れ替え続けなければならないでしょう。
 価値が残っている間に機種を売り払い、その元手で新機種を手に入れるコストを抑えるというのは一見合理的に見え、実は常に一定の金銭の負担が発生し続けるという事ででもあります。特に金銭的な理由が大きい場合は、ある意味自転車操業にも近いです。
 また、仕組み上どこかでこのサイクルが途切れると、復帰するのに大きな負担がかかります。
 私から見るととても疲弊しやすく、また燃え尽きやすいやり方のように思うのです。
 まあ、オーディオ趣味にかかる金銭の事を考えれば、燃え尽きた方がある意味幸せと言われれば何とも言えませんが。

 先にも書いた通り、オーディオは所詮は趣味であり、楽しめるのならば何でもありです。
 けれど、それは本当に自分の意志なのか、という事は時折問いかけてみる必要があるのではと思います。新機種に更新するという手段の一つでしかない物が、いつの間にか目的にすり替わっていませんか?と。
 様々な情報に踊らされたり、周囲の評価ばかりを気にしたりして行動していると、主体が無くなってしまう事があります。
 趣味とはあくまで自分が楽しむものなのに、その為の手段が目的になってしまっては元も子もありません。

 自分の意志で望んでやっているならそれも一興。
 ですがそうでもない場合、ある視点から見れば合理的な行動は、別の視点から見ると極めて不合理になり得ることは、知っていた方が良いと思うのです。