オーディオという趣味について考える

 オーディオという趣味(オーディオ環境の構築)自体がそこまでメジャーでは無いためか、どうも音楽鑑賞と区別がついていない人も多いようなので思っていることをつらつらと。
 なおこれについては、実際にオーディオを趣味にしている人でも勘違いというか、区別がついていない人もいる気がしています。
 もちろんこの二つは地続きの領域ではありますが、その性質においてはむしろ真逆と言ってよいと私は思っています。

1.音楽鑑賞とオーディオの性質の違い
 音楽鑑賞自体が、コンテンツ消費型、言い換えればインプット型の行為であることは大抵の人が共通して認識していると思います。
 まあ、場合によってはそうではない場合もあるとは思いますが、大抵の場合極めて受動的な行為と言えます。
 一方でオーディオの環境構築は、基本的に創造型、言い換えればアウトプット型の能動的な行為なのです。まず現状について把握し、不満点を改善するのか、長所を伸ばすか等の目標を設定し、実際に行動に移す。そして、その結果を観察しフィードバックして、次に生かすという繰り返しです。
 この実際の行動の場面が、部品から集めて自作するのか、完成品を購入するのか、という違いはありますけどね。
 部品から集めて自作する方がより創造的な要素は強いといえますが、完成品を購入する場合でも、トータルで見れば十分創造型の行為と言えるでしょう。
 もちろんオーディオ環境構築の目的は「良い音を鳴らすこと」が目的となることが圧倒的に多いのですが、それは厳密に言えば「音楽を聴くこと」ではないんです。

2.~を買えば沼は終わり、という考え
 よく何か素晴らしい製品を見つけたとき、これさえ手に入れれば沼は終わり、つまりもうオーディオ機器の購入欲は無くなるのではないか、という言葉を目にします。ですが私は、ほぼ間違いなくそうはならないだろう、と思っています。
 いずれまたより高い性能の製品が出てほしくなるから、という意味ではなく(まあそれもあるかもしれませんが)、もっと根本的なところで思い違いをしているからです。
 それは、オーディオ環境の構築という作業を止め音楽鑑賞しかしなくなったら、インプット型の行為しかなくその方面でしか欲求を満たせないという事です。
 そして一般的に人は、インプット型の行為よりもアウトプット型の行為の方が、より大きな楽しみを感じられると言われています。
 どれだけ素晴らしい環境を築こうが、オーディオという趣味を止めてしまえば、言い換えれば音楽鑑賞だけではアウトプット型の欲求は満たされません。
 音楽鑑賞によって欲求を満たそうとしても、それがどれだけ素晴らしい音であろうともインプット型の欲求を満たすのみであり、いずれアウトプット型の欲求に抗えなくなっていくでしょう。
 もっとも、オーディオという趣味において機器の購入のみがアウトプット型の欲求を満たす行為でありませんし、そもそもオーディオではなく何か他の趣味でアウトプット型の欲求を満たすという方法も考えられます。
 それでも、やはり何かしらの機器の導入がオーディオという趣味の中で大きなウエイトを占めていることも事実であり、それなくしてはオーディオという趣味自体が成り立たないのでは無いか、と考えています。
 そこに自覚的であって、今後は音楽鑑賞のみを楽しむと思える人は、別に何かを購入するしないに関わらずそう行動できるでしょうしね。

 しかしここで話の根本を覆すようですが、そもそも「オーディオ機器の購入」が、直接的にアウトプット型の欲求を満たす期間は極めて短い期間でしかありません。
 といいますか、殆どの場合「買った瞬間から商品が届くまで、あるいは持ち帰るまで」程度でしょう。
 むしろ、機器を導入するまでの検証や検討の時間、機器を購入した後に自らのシステムにおける使いこなしを考え試行錯誤する時間などが、アウトプット型の欲求を満たすという点においては大部分を占めます。
 ですがこれらを行うためには実際に何かしらの機器を購入する必要がある為に大きなウエイトを占めるだけであり、機器の購入そのものがアウトプット型の欲求を満たす主な行為では無いということです。
 ここを取り違えてしまうと、刹那的な充足感を味わうために機器を無暗に買い漁ったり、とっかえひっかえすることになるのではないか、と考えています。オーディオに限らず物欲に際限が無い、というのもこれと似た理由だと思っています。

 ここにはまると際限なくお金を消費していくだけなので、それが可能なだけお金を持っているならともかく、そうでないならトータルでアウトプット型の欲求を満たす事を考えた方が良いでしょう。
 また、例えどれだけお金を持っていたとしても、何かを購入してアウトプット型の欲求を満たす行為は刹那的なものになりがちなので、やはりあまり健全では無いだろうと考えています。

3.その機器の値段でどれだけのCD(音源)を買えるか?という誤謬
 よく高額な機器を購入する行為に対して、「それだけのお金があればどれだけのCDが買えるのか?」や「私ならその分のお金で音源を購入して楽しむ」という言葉が観察されますが、私は二重の意味で間違っていると思っています。
 まずこれまで述べてきたように、どれだけ音楽鑑賞の素材を購入しようが、アウトプット型の欲求は満たせません。これが一つ目の理由。
 言い換えれば、それはあくまで「音楽鑑賞」というインプット型の行為の欲求を満たすのみであり、アウトプット型の欲求には殆ど影響を及ぼさないということです。
 そして仮にオーディオを趣味としているかどうかは別として、高額なオーディオ機器を購入する人が皆、その分音源購入を我慢しているわけではないということ。これが二つ目の理由ですが、これについてもう少し詳しく述べます。

 まず、少なくとも私は聴きたいと思った音源の購入を、我慢してオーディオ機器を購入したことがありません。自分が聴きたいと思った音源は、必ず購入しています。
 いや、オーディオ機器に費やす分を音源購入に回せばもっとたくさんの音源を楽しめるじゃないか、と思うかもしれませんが時間は有限です。
 どれだけ多くの音源を買っても消費に費やせる時間は限られており、その中で楽しみを最大化しようとすれば、音源だけではなくオーディオ機器にも拘り、その限られた時間のクオリティを上げよう、と考えることは自然ではないでしょうか?
 むしろ私は現状ですら音源の数は過剰なくらいで、それら全てを十分に楽しんでいるとは言えない状況にすらなっています。
 そしてそれでも今後購入したいと考える音源が無くなることは考えられないので、今後も音源の数は過剰な状態が続いていくでしょう。
 現在は聴ける音源を増やすという事だけならサブスクリプションという選択肢もあり、猶の事多くの音源を楽しめる環境が整っていますので、この手の意見はより見当外れになるでしょう。

 因みに私は、凄くたくさんの音源の中から色々楽しむ時間を増やすよりも、自分が強く好きだと思うアーティストの音楽を楽しむ時間を増やすことにより喜びを感じるタイプなので、サブスクリプションの利用すらあまり乗り気でないです。
 何度か試しで使ったことはあるのですが、結局現在は何も使用していません。
 

4.まとめ
 というわけで、オーディオ(オーディオ環境の構築)という趣味と音楽鑑賞の性質の違いについて考えてみました。
 私はじゃあ結局どういうスタンスなのかといえば、これまで何回か書いてきた通り、そもそもオーディオという趣味は優先順で言えばせいぜい上から3番目くらいでしかありません。
 1位と2位の趣味の方が明確に優先度が高く、かつ両方ともほぼ完全にアウトプット型の趣味のため、そっち方面の欲求は大抵そのどちらかで満たされています。
 ですがその両方ともが殆どお金がかからない(少なくともオーディオと比べれば)為に、オーディオに費やせるお金が多いというだけだったりします。
 そういった理由があるので、まあ多少のアウトプット型の欲求を満たす足しになりますし、音楽鑑賞というインプット型の趣味のクオリティを上げることにも繋がるので、オーディオにそれなりにお金をかけているといえます。
 だからこそ、個人的なスタンスとして「そこそこ頑張るエンジョイ勢」な訳です。
 そして、この考えが根底に有るからこそ、先にも書いたようなオーディオ機器を購入する主目的が「アウトプット型の欲求を満たす事」にならないよう気を付けています。
 もう少し具体的に言いますと、

 

 ある程度のクオリティの機器を購入したいとは思いますが、決してとっかえひっかえはしない。購入したならばきちんと使いこなしを考える。逆に言えば、使いこなしを継続して考えられないような機器はなるべく購入しない。
 自分が納得できる商品を買う。他者のレビュー等を参考にはするが、決して他人の意見により購入を決断しない。決断は、自分で考え自分で行う。
 売却する時のことは基本考えない。購入品の売却は機材整理の一環としては行うが、資金捻出の手段としては一切考えない(あくまでおまけ)。
 何かしらの行動をする以上、自分の中に経験が積み重なる事を重視する。ただしこれはやりすぎると遊びが無くなってしまうので、時には自分に対する約束事を破ることも許容する。
 何より、自分の生活に悪影響を及ぼすようなレベルには足を突っ込まない、あくまでライトに楽しめる範囲にとどめる。

 

といったところでしょうか。
 これらの点について自覚していて大金をつぎ込むのは別に好きすればいいと思いますし、そもそも稼いだお金をどう使おうとその人の自由なので、他人がとやかく言えるものではありません。
 しかし、この点について自覚が無いのならば、自分がどのような欲求を満たそうとしているのか(何を求めているのか?)位は、一度深く考えても良いのではないかな、と思います。