日記 批評をするという事

 最近X(旧:twitter)のTLに流れていた話題について、私の考えを書いてみたいと思います。
 まず、製品に限らず何かを批評する、特に悪い点を指摘することが、どんどん忌避されるようになって来たと感じています。
 私自身は、基本的に誹謗中傷では無く、事実に基づいた(少なくとも自信がそう判断した)指摘であれば、特に問題だとは思いませんし、むしろ歓迎されるとすら考えています。
 例えその製品を愛用している人が居たり、他の人が不満無く使っていたりしたとしてもです。
 まあ、批判する製品を使用している人を貶めるようなやり方は論外ですが(~の製品を使っている人は耳が悪いとかね)。

 

 この手の話題を目にするたびに、いつも思い出すのがカーデザイナーの奥山氏のドキュメンタリーです。
 奥山氏は世界でもトップレベルのカーデザイナーですが、過去の経験談でこんな話がありました。
 奥山氏は、若手の頃常に自分のデザインが批評され、衝突を繰り返させられた事がとても嫌だったそうです。
 だから、自分が実績を残し管理職に抜擢された時、部下にこんな思いはさせたくないと思った。
 デザイナーの働く環境を整えることに注力し、各自の自主性を重んじるようにした。
 そして管理する部署の雰囲気は非常に良くなり、皆和気藹々と働くようになった。
 しかしその一方で、良いデザインが生まれなくなり、部署の成績が悪化。結局、部下7名の解雇を行うよう命令が下ったという話です。

 

 この話は、大きく示唆に富む話だと今でも良く思い返します。
 確かに、常に批評にさらされることは精神的な負担が大きすぎて、人を壊す事にもなりかねません。
 ですが、その逆に全くの批評の無い状態は、人に甘えやなれ合いを生じさせ停滞を生む、あるいは退廃にすら繋がってしまうのではと思います。
 私は現状では結局バランスが大事で、批評や批判の全く無い世界は最終的に腐っていくとすら考えています。
 だからこそ、自分が大事にしたいと考えている物事ならば、しっかりと批評・批判をすることは、長期的な視点で見て重要だと思うのです。