日記 個性についての捕捉

 前回書いた記事への捕捉なので今回は短めです。

 

 まず、私は個性を長所だけでなく短所も含めた要素として捉えており、それが他には見られない、あるいは見られにくい特徴の場合に個性だと捉えます。
 そして、多くの場合はあまり良い意味では捉えていない事が多いです。
 まあ、若干ニュアンスは違いますが、癖や偏りをオブラートに包んだ物程度に考えてもらえれば割と近いかもしれません。
 もっとも、レベルの高い領域においてはどの性能も満遍なく高まっていくので、純粋に誉め言葉になる事も多いですが。

 

 前回の記事で、ハイエンドになるほどに個性は弱まっていくと書いたのはそういう意味であり、基本的にはどんどん偏りが少なくなっていくからです。
 確かにある程度特徴づける長所があったとしても、偏りそのものはそこまで大きくない、むしろ小さいよね?という。
 例えば各種性能を八角形辺りで表した時に、性能が高いハイエンドの機種になるほど、多少の差は有れどどの機種も正八角形に近い形になるというイメージですね。

 

 因みに、私があまり個性という物を肯定的に捉えなくなった理由に、スポーツ絡みで勉強している時に感銘を受けた、ある能師の言葉があります。
 曰く、
「能は面をつけ言葉も発せない為、常に身体の動きで全てを表現しなければなりません。だからこそ、体の動きに癖があれば、必ず表現できない事が出てきてしまいます。能の修業とは、一生体の癖をとり続ける事なんです。」
との事。
 それは能だけでは無くスポーツにも通じるところがありますし、オーディオにおいても恐らく理想とされるものの一つなのでは無いかと思っています。

 

 だからこそ私がシステムを構築するときには、この考え方は常に大事な要素として指針となっています。
 それ自体は物凄く難しい事ですし、果ての無い道だとも思うのですが、それでもやはりこれが一番自分にフィットする考え方だと思うのです。