日記 曖昧な言葉、抽象的な表現

 最近試聴会があったおかげで、DVAS model2のインプレが増えてきましたね。全体的な印象としては概ね私がヘッドホン祭で聴いた時と同じ感じでしょうか。
 ドライという印象だけは感じなかったのでその点は違うと言えば違いますが、Utopiaだとかなり軽減されるようなので、恐らくそれが原因かなと。
 ここに個人的な印象を付け加えると、多分ぱっと聴いて高性能なのが分かりやすいのはmodel2の方だと思います。
 Premier HPAの方は高性能でありながらそれを極力感じさせず自然に聴かせる感じなので。まあ、そうはいってもやっぱり個々の性能が高いのは間違いないんで、気付かないって事は無いですが。
 しかし、約130万円程度だったPremier HPAが最早200万円目前ですか……HPAとしてブレイクスルーをもたらした機種だけに残念。
 色んな事情がある事は理解しますが、中身が変わってないのに5割も値段が上がるというのは、ね。
 そういう意味でも、国内企業でぎりぎり3桁万円を切る価格で素晴らしいアンプが出てきたことは、とても幸運なことだと思います。

 さて、私はMSB Premier HPAとDVAS model2のインプレで、断絶という言葉を使いました。
 この言葉は一見何かを意味しているようで、実は結構曖昧で抽象的な表現だと自分でも思いますし、そう感じた人も多いでしょう。
 それを何とか言葉にすることは出来なくは無いと思います。
 例えばこれまで存在した機種と比較して極めて情報量が多いとか、音場の広さが異次元とか、音の立ち上がりや収束が桁違いに優れているとか。
 ですが、これらの機種についてはそういった言葉を尽くそうとするほどに、本質から(私が表現したいことからは)遠ざかると考えています。
 この件に限らず、特に感覚的な事について表現するときに、どうしても抽象的な表現に頼らざるを得ない事があります。
 それは言葉という物の限界であり、具体的に表そうとすればするほど、言葉を増やせば増やすほど表現できる内容が限定されていくからです。

 非常に分かりやすい例としては、昨今のライトノベルのタイトル。
 最近では物凄く長ったらしい説明文的なタイトルが付けられることが多いですが、それがその物語を適切に表現できている事はまずありません。
 私はあれを出オチのタイトルと名付けているのですが、大抵の場合開始時の設定の一部やワンシーン位しか表現できていません。
 その物語そのものを語るタイトルにするには、言葉を増やすことでは無く削ることが必要です。
 ですから、今でも文芸書のタイトルにおいてはシンプルなタイトルが付けられていることが多いです。
 それらは酷く抽象的で、そのタイトルから中身を類推することは難しいですが、その小説を読み終わったときに初めてそのタイトルが理解できます。
 特に上手く付けられたタイトルならば、それ以外に無いと納得する事でしょう。


 昨今では、抽象的な言葉はまるで悪かのように、具体的なものが正しいかのように言われる風潮が強まっていると感じます。
 けれど、どんなジャンルであれその内容が高度になるほど、本質を表そうとすれば抽象的にならざるを得ない事が多いです。
 だからこそ、抽象性という物は実は極めて大切なのだと私は考えています。
 具体的な表現が悪いわけでは無いのですが、どうしたってそれだけでは表せない領域が存在します。
 それを無理やり具体的な言葉にしようとすることは、その行為こそが本質から遠ざかり、理解を歪めかねないという事は認識して置いた方が良いと思っています。