理論と感覚の話

 ツイッター上あるいは各所ブログなどで、音楽制作をするにあたり音楽理論を学ぶことは必要か否かという議論をよく目にします。
 私自身が音楽制作をする訳ではないのですが、似たような議論が他の分野でもよく起こるので、この点について考えてみたいと思います。

 私が最も造詣が深いと思われる分野はスポーツ関連ですが、そこにおいては運動力学、運動生理学、解剖学などの理論を学ぶ方が良いのか、という話が類似の議論と言えるでしょう。
 なお、これは別に例えとして持ち出した架空の例では無く、結構実際に議論される内容だったりします。
 そして、少なくともスポーツの分野においては、高レベルの競技者がこれらの理論について、完全に理解している必要性はあまり無いといって良いでしょう。
 全くの無知だと困りますが、ある程度の基本的なことを抑えていれば、専門的なことが必要になった場合その道の専門家に当たれば良い、というのが主流な考え方です。
 基本的にスポーツにおいては理論を学ぶよりも練習をする事の方が遥かに効果が高い為に、理論を学ぶために多くの労力を費やすという事はあまり推奨されません。
 もっとも、人の感覚的に理解し難いあるいは反する事象も少なくなく、そういった場合は理論面からアプローチしたほうが早い場合もあったりするので、特にレベルが高くなるほど各種理論の重要性は増して行きますが。
 余談ですが、高レベルの理論的な知識も必要だし膨大な練習も積まなければならない場合どうするかというと、コーチやトレーナーを雇ったり、動作解析の専門家に依頼したりして解決する事が一般的です。要は、一人で全てを賄うのは無理なのでチームを作って対応する訳ですね。

 但し、ここで考え違いをしてはいけないのは、理論を学ぶ学ばないに限らず、理論あるいはその元となる法則を無視できるわけでは無いという事です。
 例えば運動力学を知らなくても物理法則は無視できませんし、運動生理学を知らなくても人のエネルギーを生み出す仕組みや身体が回復する仕組みが変わる訳ではないのです。
 各種理論の根本にあるこの世の法則は、厳然とそこにあるものであって、それを知ろうが知るまいが決して無くなりはしないですし、逃れることも不可能だという事です。
 そしてそれは、人が解き明かしたものは当然ですが、未知のものも全て含まれます。
 ですから、存在する理論全てを仮に網羅したとしても、その分野に関して完璧な知識を備える事にはなりません。

 恐らく音楽理論についてもそれは同様で、例え理論を学ばなかったとしても、あらゆる法則から自由になれる訳ではありません。
 そして、特に重要な法則について理論を学ばなくともある程度感覚的に理解できる人が、理論を学ぶ必要性に疑問を覚えるのではないかな、と推測します。
 これはスポーツにおいてもそうなのですが、何故重要な法則を感覚的に理解できる人とそうでない人がいるのかという点については厳密には解明されておらず、大抵の場合「才能」という言葉で表現さざるを得ない状況です。
 加えて言うと、それが先天的な物か後天的な物かについても、あまり解明されていません。と言いますか、そのことを真面目に研究した結果があまりない、というのが実際の所でしょうか。
 私自身の考えとしては、他者と明確に差が出る先天的な才能という物は、正直言って障害と紙一重のレベルではないかと考えています。
 サヴァン症候群はそういった例として有名な所でしょう。あるいは先天的に目が見えない人が異常に聴覚が発達しているといった、代償的な能力もその例といって良いかもしれません。
 実際に人が考えている才能という物の多くは後天的だというのが私の考えですが、あまりにも影響する変数が多すぎる事、そしてその多くが幼少期に存在すると考えられる事から、今後も解明は困難だと思われます。

 そしてここから先の事が更に厄介さを増すのが、人は物理的に起こっている現象をそのまま知覚できる訳では無いという事です。
 例えばスポーツにおいて運動連鎖という概念があり、これは運動する際に下半身の動き→上半身の動きのように、ある動きが隣り合うセグメントの変化を通じて次々に動きが波及していく 現象のことを指します。
 この変化が滑らかに素早く行われることが良い動きに必要な訳ですが、そのことを意識して動くと良い動きにならないという事が往々にして発生します。
 これは人の感覚で運動連鎖を意識すると変化の波及が遅すぎる事が原因で、実際には全身を同時に動かす位の感覚で丁度良かったりするのです。
 他にも色々と例はありますが、大抵の場合人の感覚は、実際に起こっている現象をかなりの遅れをもって知覚している場合が多いです。
 自動車メーカーのマツダの技術者の方が、「人間は位相遅れの塊」と表現していましたが、これ程的確に人間の感覚特性を表現した言葉も中々無いと思います。

 そういった理由で、様々な理論を学んだとしても、実際には殆どの場合理論通りに知覚あるいは運用できない事から、そのギャップを埋める作業が必要になります。
 現実と理論の間を埋めるのはそれぞれの人の力量にかかっており、だからこそ理論を学んでもすぐには現実に生かせないということが発生します。
 それは、殆どの場合理論を学ぶことが無意味なのではなく、その人の力量が足りないがゆえに理論と現実の乖離を埋められないだけの事が殆どです
 ですから、仮に理論を学ぶとしても、それを研究することが目的では無く自分のスキルを高めることが目的ならば、常に実践を通して現実との差異を埋める作業を行わなければならないのです。

 以上、理論と感覚の話について書いてみました。皆さまがこの事を考える上で、参考になれば幸いです。