思い出話 Grace Design m902について ~その2~

 因みにこの流れで言えば、しばらくはHPAの駆動力についてはそこまで注目されていない時期が続いていたように思います。
 海外ではDARK STARというRay Samuels Audioの駆動力の高いHPAなどもありましたが、むしろ駆動力が高すぎて扱いにくい、という評価すらあった程です。
 日本では個人輸入しなければならないというハードルの高さもあり、やはりそこまで一般的ではなかったですし、他の駆動力を謳う機種でも今と比べればそこまで駆動力が高かったわけではない事が殆どでした。
 状況が変わったのは平面駆動型の台頭、それも40万円前後やそれを超える価格というそれまでのハイエンドの価格帯(15~20万円程度)を突き抜けた機種であるHE1000の登場が一つのきっかけだったと言えると思います。
 すなわち40万円前後あるいは40万円超のクラスの形成、しかもそこで評価されたのがHE1000という平面駆動型だったために、他の会社も相次いで平面駆動型でそのクラスに参入しました。また、後にダイナミック型や静電型でもこの価格帯の機種が増えていき、この辺りのクラスが完全に定着した感があります。
 HE1000よりもかなり前にUltrasoneのEdition7という40万円越えのヘッドホンは有りましたが限定生産品でしたし、限定で無い機種としてもStax SR-009という40万円近い静電型のヘッドホンは既に発売されていましたが、静電型自体がその時は実質作っているのがSTAXのみで、それらはあくまで特殊な機種(例外)として受け止められていた感があります。
 そのため、どちらもクラスを形成する程の影響力は発揮しきれなかったと言ってよいと思います。

 

 平面駆動型は最近でこそ多少改善されましたが、登場したての頃はかなり能率が低い機種が多く、先にあげたHE-6はその際たるものです。
 一応平面駆動型としてかなり前からFostexのTH-50RPがありましたが、これは一部で非常にコアなファンがおり独自のカスタム品が出回ったりしてはいたものの、ヘッドホン界隈全体への影響は殆どありませんでした。
 それがHifimanやAudeze等の登場で平面駆動型がにわかに注目を浴び、HE-6、HE-560、LCD-2やLCD-3等は音質的にも高く評価され、ちょっと特殊な駆動方式という認識からヘッドホンの主要な駆動方式の一つへと認識が変わっていきました。
 それまでは大別してダイナミック型、静電型の2種類だったものが、ダイナミック型、静電型、平面駆動型(プレーナーマグネット型)の3種になったわけですね。
 また、HifimanやAudeze以外にも平面駆動型を出すメーカーが増えていきました。
 そしてそういった流れの中でHifimanがHE1000を出し、またその音質が極めて高く評価され受け入れられたために、一気に市場が動いたように思います。

 

 このように状況が変化したために、必然的にハイエンドクラスのHPAに求められる性能が変わりました(なお、ここでは静電型のHPAについては、特殊な機種を除いてダイナミック型と平面駆動型に互換性が無いために割愛します)。
 つまり、HPAとして性能を誇示するためには、これら40万円クラスに属する平面駆動型のヘッドホンを良い音で駆動することが必須条件となったのです。
 特にHE1000が出たあたりからしばらくは、そのクラスは平面駆動型の独擅場と言っても過言ではない状況だったのでなおさらです。現在はダイナミック型も増えたために当初よりは比率は下がっていますが、それでもなおこのクラスでは一番大きな存在感がある形式でしょう。
 それらはどの機種もお世辞にも能率が高いとは言えず、SUSVARAというHE-6と同程度の能率しかないハイエンド機種が登場したりしたので、極めて高い駆動力が求められることになったわけです。
 しかも単に音量が取れないというだけではなく、良い音で鳴らすこともまた難しい機種ばかりだったので、音量が取れれば良いというわけではない事もはっきりと認識されていったように思います。
 それまでにもHE-6やLCD-3等のハイクラスの平面駆動型の登場により、HPAにはもっと駆動力が必要ではないかと考えられ始めていた時期でしたから、とても駆動力が高いHPAも登場し始めてはいました。
 ですが、この40万円超のクラスの形成とそのクラスに属する平面駆動型ヘッドホンの出現により、それまで駆動力の高さはHPAの売りの一つであったのに対し、ハイエンドクラスHPAにとっては備えるべき必須の能力となったと言えるでしょう。
 こういった流れがあって、ヘッドホンアンプは駆動力が大切と言う事が共通認識となり、全体的なレベルアップにつながって行ったのだと私は認識しています。

 

 この変化、つまり全体的に駆動力に関する能力が大幅に上がったために、m902の後継機であるm903やm920、m904の後継機であるm905の存在感は相対的に下がったのだろうと思います。
 私は後継機はどれも試聴したことは無いのですが、スペックを見る限りかなり大幅な性能向上をしていますし、作っているのがGrace Designですからまず間違いない音質は持っているでしょう。
 ですが、以前と比べm920やm905の音質優位性が突出していない事、またコンシューマでHPAの選択肢が大幅に増えた事などが理由で、業務用機器であるそれらは一般のユーザーの中では存在感が薄れていったのでしょう。
 まあ、それでも業務用機器の中では未だに高い評価を得ていますし、m905はCrane SongのAvocetⅡとともに双璧をなす鉄板の高品質モニターコントローラとして存在しているので、本来の立ち位置に戻っただけ、というだけな気がしますが。
 私自身としましても、確かに良い選択肢の一つであるとは思いますが、今敢えてこれでなければならない、という理由も薄まっているとは思います。
 しかし、m902やm904、そしてそれを作っていたGrace Designは、ヘッドホンオーディオが流行りだした頃に重要な役割を担い、ハイクオリティな領域を提供してくれた機種あるいはメーカーとして、意義深い存在だったと思うのです。