Toppingから発売されている定価55,000円とそこそこ安価ながら非常に高い特性値を持っているヘッドホンアンプです。海外でも話題ですし、国内でもそれなりに人気が出始めている機種だと言ってよいでしょう。海外のレビュアーには40万円ほどするHPAと比較しても同等だという人もいるくらいです。 A90やTHX789系統のHPAのように、負帰還の技術により低価格ながら高特性なHPAがトレンドとなっており、これらの実力を一度確認したいという事でセール時に購入してみました。 ですが、色々と試した結果かなり辛口の(というか褒められるところが無かった)レビューとなります。それを読むのが嫌な人はページを閉じることをお勧めします。 なお本レビューにおいて再生環境は、PC→Lyra2(DDCとして使用)→DA-N5(DAC)→Indigo(プリアンプ兼セレクター)→A90です。Indigoが影響している可能性もあるために本レビュー執筆後にDA-N5から直接つないで確認してみましたが、特に大きな変化は無かったのでそのまま投稿します。 入力はXLR、ゲインはハイゲイン、念のためにエージングは50時間ほど行いましたが、初期状態からの変化は殆どありませんでした。 レビューを書くために使用したヘッドホンはBeyer T1、Fostex TH900、Kennerton Thror、Hifiman HE1000seとHE-6です。
【基本スペック】 入力はXLR×1、RCA×1。ヘッドホン出力はXLR4ピンのバランスアウト、6.35mmのシングルエンド、4.4㎜のバランスアウトです。またプリアンプとしても使用可能で、XLR×1、RCA×1の出力を持ちます。 他にはヘッドホンアウトの出力のゲイン調整が可能で、High、Mid、Lowの三段階です。 HPAとプリアンプの切り替え、入力のXLRとRCAの切り替え、ゲインの切り替えはトグルスイッチで行います。その他の特性等については販売ページなどを参照してください。
【帯域バランス】 低域寄りのかまぼこ型。低域方向への伸びも、高域方向への伸びもあまりよくありません。 低域~中低域辺りが盛られていて、ぱっと聴きは低域が出ているように感じるのですが、それより下は切り落としたように出ていません。個人的にこのような味付けは、本来低い低域再生能力をごまかしているように感じられて全く好きではありません。 高域は伸びが無いだけでなく量的にも少なく、正直言ってここは同価格帯ですらディスアドバンテージになるのではないかと思います。
【音場】 音場はかなり歪です。左右方向にだけはそれなりに広い物の、それ以外が非常に弱いです。価格的に奥行き方向が苦手なのは仕方のない面があるとは思いますが、上下方向に狭いのは辛いです。多くの音が中央に押し込められたようになってしまい、音が整理されておらず雑然としていて窮屈な印象を受けます。 定位に関してはふらつきまではしませんが、このような音場なのであまり明確に決まっている感じがしません。
【分解能】 一聴した感じは高く感じますが、後述の音色や残響成分をそぎ落とされている為に分離しているように聴こえるだけで、実際の分離能力はあまり高くありません。 試しに音数の多い曲等の分離能力が試される曲をかけると、音が混濁していきます。これは音場の弱点も影響しており、オーケストラを聴くとかなり悲惨なことになります。特に低域の分離はかなり悪く、これについてはLyra2のヘッドホンアウトにすら劣ります。 詳細な情報の拾い上げはあまりしてくれません。特に細かなニュアンスの違いの表現などは厳しいです。
【描写】 低域は鳴らす機種にもよりますがブーミー一歩手前になることが多く、であまり質は良くありません。低域~中低域辺りが盛られて量感がある割には、実体感が薄く迫力には欠けます。 中域はあまり目立たなく、楽曲によっては低域に若干マスクされているように感じることもあります。 高域は情報量も量感も不足していて、シンバルのような金属系の打楽器、金管楽器などの鮮やかさが物足りなく感じます。 分解能の項目でも述べましたが、全域を通じて楽器の音色に関わるような微細な情報がそぎ落とされていて、特に生楽器との相性が悪いです。極端な言い方をすれば生楽器がまるで打ち込み音のように感じられてしまうような方向性です。 音の背景の情報は全く感じられずただ黒く塗りつぶしているだけで、私はこれを静寂だと言いたくありません。 音の収束も大分不自然で、かなり唐突に音が消えますし、そもそも音そのものがあまり伸びません。 また、残響の成分もかなり捨てられているように感じます。ライブ盤を聴いても広い空間に残響が消えていくような感覚が感じられず、まるでスタジオ録音を聴いているような気持になります。
【駆動力】 最大出力が7600mWとこれより高い出力を持ったHPAを探すことが難しい位に出力があるはずなのですが、駆動力はあまり高くないです。 また、その結果の出方も機種によって変わるので、ここは試した機種でどのように感じたかを記載します。
Beyer T1 まず、T1が非常に大人しく鳴ります。駆動力のあるHPAで駆動すると凄まじいまでの反応の速さがあるのですが、まるで別物のヘッドホンのように凡庸です。 また、私はA90で初めて高域が全然出ていないT1を聴きました。正直言って、T1で高域が出ないなんてことがあるとは思わなかったので、思わず接続ミスのチェックや位相チェックをしたくらいです。 音像もピントが合っていないようにぼやけ気味で、かなり奇妙な鳴り方です。 一つ一つの音色の描写の巧みさ、反応の速さ、高域再生能力の高さといったT1の特徴を全て消し去っていて、ヘッドホンを上手く駆動できていないというのはこういう事を言うのだ、とすら言いたくなるような音です。 なおこれはバランスで駆動した時の話で、シングルエンドで鳴らすとより悲惨なことになります。
HE1000se HE1000seの特色である音場の広さが全然感じられません。とりあえず左右方向だけその片鱗が見えるかな、という程度です。但し上下の狭さは多少はマシになります。 音が全体的に近めになり、定位が不明瞭になります。これは、駆動力が足りないときの典型的なHE1000seの特徴だと思っています(他機種でも同様になる機種がある)。 また、打楽器の質感が悪く、まるで初代HE1000に戻ったような描写になります。 こちらもバランス駆動で、シングルエンドだとより悲惨な結果になるのはT1同様です。
TH900 下手に出力だけはあるのに制動に関する能力が不足しているために、高域が完全に暴れています。 元々の高域の情報量が少ないので、鮮やかさや鮮烈さはないのにひたすら痛い高域が暴れまわっているという訳が分からない音になっています。 聴き始めて30秒で耐えられなくなり休憩を挟みました。その後も何度かチャレンジしましたが、ただのストレステストだったので詳細な検証は断念しました。 こちらもバランス駆動で、シングルエンドだとどうなるかは試していません。
Kennerton Thror 今回試した中で唯一それなりに聞けたヘッドホンです。Thror自体があまり駆動力が無くても鳴らせて、低域が引き締まっていて、音場で勝負するようなヘッドホンでは無いために、A90の短所が気にならなかったり上手く中和されていたりするのでしょう。 ですが、それはあくまでそれなりのバランスで聴けるというだけで、素の性能の低さは変わらないのでThrorの魅力を引き出せているわけではありません。 こちらはシングルエンド接続です。バランス駆動用のケーブルをまだ作成していないために、そちらは確認していません。
HE-6 そもそも音量を取るのが厳しくJ-POPでギリギリという感じで、録音レベルの低い音源だとレベル不足になります。 録音レベルが低い音源を聴かないという人でも、大音量で聴くのが好きな人は別のアンプを探した方が良いでしょう。 と言いますか、出力2100mW(46Ω負荷)のXI Audio Formula Sとほぼ同じ音量しか取れないのですが、本当に7600mW(16Ω負荷)または6400mW(32Ω負荷)の出力はあるのでしょうか。 なお、J-POPで確認した範囲ではそこまで酷い音にはなっていませんが、HE-6の魅力を引き出しているかと言われるとやはりそうとは言えません。 こちらもバランス駆動時の話で、シングルエンドだとJ-POPですらかなり物足りない音量しか取れないので、音質以前の問題です。
まとめ 余りに巷にあふれる評価と異なる音質なので、何かの間違いをしていないか散々チェックしたのですが、そういったことは無くこれがA90の性能だと捉えるしかなさそうです。因みに当初はもっと辛らつな言葉が並んでいで、チェック時に穏当にしたり言いすぎだと感じた部分を削除して上記内容です。 正直言って、これを買うくらいならもっと他にいい選択肢があるのではないかと思います。 昨今の10万円以下のHPAに関しては殆ど音質を確かめた事は無いのですが、それでもこれより良い機種は普通にあるだろうと思います。 手持ちに駆動の難しいヘッドホンが無くて、音質にはそこまでこだわらず、ヘッドホンとスピーカーの環境を混在させたいならば利便性の点から見て良いかもしれません。 しかし、多少なりとも音質を求めるのであれば、もう少し頑張って色々探してみてはと思わずにはいられません。 個人的にはジャイアントキリングなんて夢のまた夢、かなり甘めに見積もっても精々価格なりかなという印象です。