自分の求める物は何なのか

 本日はちょっと私のヘッドホンオーディオについての傾向と考え方、そしてそのルーツについてと、そこからの派生する話です。


 私は高級価格帯の商品でも結構無試聴で購入したりします。と言いますか、現状の私のメインシステムで試聴したものは唯一HE-1000seだけです。
 因みにメインシステムとは、ヘッドホンがHE-1000seに加えUtopia、Thror、VoceDACのDA-N5、プリアンプがCHORD Indigo、ヘッドホンアンプのPremier HPA、Solarisですね。
 これは、試聴には限界があって、ちゃんとその機種を知るためには購入するしかない、と考えている事が一つです。
 それは試聴環境が自分のシステムと違いすぎたり、周囲が試聴に適さない場所だった りという相手要因もあれば、短時間の試聴で正確にその性質を掴むだけの能力が無いという自分の要因もあります。
 まあ、結局は買って実際に使ってみなければ分からないよね、と。

 

 ですがもう一つ大きな理由があり、それはその製品の特徴、個性などを楽しむことが出来るタイプである、ということも大きいと思ってます。
 まあ苦手な傾向はあって、過度の脚色と、低域が膨らんでいるあるいは過剰な機種は厳しいのですが、それ以外は割と何でも楽しめちゃうんですよね。
 特にヘッドホンは使い分けが簡単にできるので、スピーカーほど深刻にならなくてよいですし。
 好きな音の傾向ももちろんあって、基本的には脚色の少ない音、刺激的な音よりも落ち着いた音というか自然な音が好みですし、メインシステムの基本コンセプトはそっち方向に振っています。
 けれど、結局は「聴いてて楽しめるなら何でもあり」だと思っています。

 

 多分こういう考え方になったのには理由があって、ある小説に登場する人物の描写だろうな、と思ってます。
 それは、

 彼は酒を愛した。それは、美味い酒を愛したということではない。どんな酒でも、美味く飲めたということなのだ

 という描写です。一字一句覚えているわけではないですが、こういう意図の文章だったことは間違いないです。
 多分私が高校生の頃に読んだ作品だったはずですが、子供ながらに格好良い楽しみ方だなあ、と思ったのですよね。
 だから何かを購入したとき、余程苦手なものでもない限り、その製品の個性を楽しもうと考えるようにしています。
 もちろん全く手を入れないということではないですし、明らかにマイナスしか生んでおらず改善した方が良い点が有ったりすれば、むしろ積極的に手を入れます。
 それは単なる欠点であって、個性ではないと思うからです。
 けれどもその製品の芯になっている個性は、やはりそれそのものを楽しむしか無いと思うのです。
 そして、「私はこういった音しか聴けないんだ!」という態度よりも、「これはこんな風に鳴るんだなあ」という態度の方が、色々と楽しめると考えています。

 

 多分この姿勢は、何かを「極めていく」という領域にはたどり着けない、そこまでは言わなくともあまり向いていない姿勢です。
 それは様々なあそびを各所に許す姿勢であり、その為にどうしても超えられない壁があると思うからです。
 何かを極めて行く人たちは、そういったあそびを切り詰め、自分の目標到達のための最適化に使うのですから、やはりどうしても差は生まれます(あそひを全て無くせばいいってものでもないですが)。
 両者のリソースに大きな差があれば多少は拮抗するくらいは出来るかもしれませんが、人間同士でそんな事が起こるほどリソースの差があることなどまずないですしね。
 まあ、お金の部分に関しては絶大な差がつく事は十分あり得ますが、お金さえあれば極められるか、といえばそんな事はあり得ないですし。もっとも、一定以上のお金が無いとこれまた困難なことも真理だとは思いますけどね。
 なお、私は明らかに金銭的には持っている側では無いので、そこですら優位に立てませんが。
 私が折に触れ述べる「そこそこ頑張るエンジョイ勢」というのは、それも加味して発言しています。
 これは良い悪いの問題ではなく、単純にそれぞれの価値観でしか無いと思っています。だから、私の楽しみ方が必ずしも正しいとは思いませんし、理想の音のみを求める姿勢もそれはそれで素晴らしい行為だろうと思います。
 もっとも、私の感覚からすると、その行為で得られるものは「楽しい」では無く(勿論そういうのもあるでしょうが)「歓喜」の方がしっくりきますけれど。

 

 ただ、私はそこそこメジャーな競技スポーツで、一応全国大会に出場するくらいまでは達しました。
 その経験から一つ言えることは、スポーツに限らず何か物事を突き詰めていくと、ある一定以上の領域は「楽しむ」だけでは決してたどり着けないということです。
 むしろ、大きな苦しさにもがく時間の方が多くなっていきますし、それで心身のバランスを崩すことも珍しいことではありません。
 私がたどり着いた領域は大したレベルではなく、特に珍しい存在という訳でもありませんでした。
 それですらそういう世界が顔を出し始めましたので、その先は本当に想像を絶する苦しさだったのだろうと思います。
 何しろトップレベルの環境の練習内容やトレーニング内容を見ると、殆どの人は「頭おかしいんじゃないの?」と言いたくなるだろうレベルでしたので。
 そして私は、オーディオでそういう取り組み方をするつもりが無い(というかそれだけのリソースがない)ので、自分なりにたどり着ける領域で楽しもう、と考えているわけです。

 

 なお、そういう極まった領域にたどり着こうとするのは、その対象が余程好きでなければ無理です。
 根底にそれが好きだという強い思いがあって、だからこそその先行くという確固たる意思がないと、どうあっても耐えられなくなってしまうのです。
 義務感、自律心、勤勉さ、そういったものはもちろん必要なんですが、それだけではいつか必ず心が折れます。
 一般的に、「~しなければならない」という人は「~したい」という人に勝てないと言われたりもしますが、これも同じことを言っているのだろうと思います。
 オーディオというものは特に誰かと競うわけではありませんし、そういう意味での明確な基準あるいはルールが定められているものでもありません。
 ですから、一般的な競技と呼ばれるものの様に、直接的な厳しさは無いかもしれません。
 けれど逆に言えば、競技のように明確なゴール、例えば何かの大会で優勝するとかランキングで1位になる、あるいは世界記録を樹立するといった事が無いので、より果てのない世界と考えることもできます。
 相手がいないということは、時には相手がいるよりも苦しい場合もあるものです。何せ、向き合う相手は常に自分自身なのですから。

 

 こういった諸々があるので、相応の覚悟が無いならば、その領域(極めるという領域)に踏み込むのはお勧めできません。
 なんでわざわざこんなことを書いているかといえば、この領域に迂闊に踏み込んでしまうと、最終的にその世界が嫌いになってしまう、そこまで行かなくても燃え尽きて興味すら失ってしまうことが少なくないからです。
 努力が実るかどうかなんて分からない。むしろ多大な努力が残念な結果に終わる事が日常茶飯事で、それでも取り組みを継続しなければ取り残されてしまう。少なくとも前に進むことは適わないし、進めたとしてもその距離は微々たるもの。
 場合によっては、自分の努力が及びもつかない領域での理不尽が降りかかって、道を阻まれてしまうこともあったりします。
 これはまあ別に誰にでも降りかかる可能性はあるんですけど、別にそこまで入れ込んでなければ「不運だったね」で片づけられる事も、膨大な努力が理不尽にふいにされれば相当なダメージを負うということです。
 そんな世界に身を浸し続ければ、それが余程好きでもない限りそりゃ嫌になってやめたくもなるでしょう。

 

 だからこそ、その先に行こうとする人は、一度自分に問いかけてみてほしいのです。どこぞの英霊さんではありませんが、「その先は地獄だぞ?」と。
 そして、それでも不敵に笑って己を投げ込めるのならば、ぜひとも頑張ってください。それが報われる結果に終わるのか、そもそも何かを得られるのかすら全く保証はありませんが、限られた人間にしかたどり着けない、あるいは誰もたどり着いた事のない世界を見られる可能性もまた存在しているでしょう。
 私は、オーディオにおいてその気概を持つのは無理だと思っています。
 登山で例えるならば、多少本格的な登山と呼べるもの位には挑戦するものの、K2とかアンナプルナのように極めて難度の高い山に登りたい、ましてや梅里雪山みたいな未踏峰に登りたいなんて考えないということです。

 

 結局のところ、自分が求めるものが何なのかをしっかりと把握することが大切という話になりますが、まあ非常にありふれた結論だとは思います。
 ただ私自身、何かに熱中すると突っ走りがちになったり、視野狭窄を起こしたり、手段と目的を取り違える、ということがままあるので、何かの折に常に立ち止まって考えるようにしています。
 ブログを書いたりTwitterで発信したりしているのも、単なる情報発信とは別に、自分を見つめなおすいい機会になるのでやっているという側面もありますね。
 これもスポーツから得られた経験ではありますが、当たり前のことを当たり前にやる、自分が定めたルールをきちんと守って行動するって、実は結構難しいんですよね。
 それが出来なかった事が要因で無理した結果(オーディオでは無いですよ)、長期間相当に苦労する羽目になったこともありますし。
 特に、自分が出来ていると思っている時ほど実は出来ていないということが往々にしてあるので、これからも自分の芯は見失わずに取り組んでいきたいところです。