日記 更新再開と2026年2月の衆院選挙に見る教訓について

 前XにてメインのPC環境が使えなくなった為更新が止まること、そしてメイン環境に復帰できたことをポストしました。
 メイン環境の復帰からはもう少し早く更新再開するつもりだったのですが、想定以上に時間が取れない日が続きようやく本日の再開となりました。
 なお、この状況は恐らくしばらく続くので、それが終わるまでは更新頻度は少なくなるかもしれません。

 さて、本日のテーマは以前Xでもポストした2026年2月の衆院選です。本来私は、政治的な問題に関しては発信しないように心掛けています。
 ですが当該の衆院選は、多くの物事に共通する普遍的なテーマがあり、しかも本当に典型的な例だなと思ったので取り上げることにしました。
 そのテーマは2つあって、中道改革連合(以下中道)の失敗と自由民主党(以下自民)の大勝についてです。

 まず一つ目の中道の失敗について。
 私はこのニュースの第一報を聴いた瞬間に抱いた感想は、「いやダメだろそれ」でした。
 一応選挙が終わるまでは発信しないようにしてましたけど、中道の敗北はその時点で確信してましたし、何ならかなりの確率で大敗すると思ってました。結果はそれをも上回る惨敗でしたけど。
 そもそも、今回の選挙自体が、野党にとっては厳しいスタートだと思っていました。
 それは高市政権の高支持率が理由というよりは、選挙に辟易としいい加減政府に仕事をしてくれと感じていた層が多かったと思うからです。
 ここにきてまた政権の変更があってごたごたしたり、方針の転換が有ったりしてまた時間がかかってはたまらないと、現状維持を望んた人が多かったのではないかと思うのです。
そうであったからこそ、野党には最初から勝ち筋の薄い選挙だったとは思うのですが、それでも中道を作りさえしなければあそこまで惨敗しなかっただろうとも思っています。
 そもそも中道の母体となった立憲民主党(以下立憲)自体、支持がほとんど伸びていなかった。しかもそれは自民の支持が落ち他の野党が支持を伸ばしている中だったので、実質的には支持を失いつつある状況だったと言っても良いでしょう。
 これについて、キーワードは「野党は反対ばかり」という批判に内包されていると思っています。
 そもそも、国会というかシステム的な役割として、野党とは与党に反対するものであり、そうでない野党に意味は無いというのはその通りです。
 その構造があるからこそ緊張感が生まれますし、法案をブラッシュアップすることにも繋がることも事実。
 ですが、そう言ってその言葉の裏にある感情を切り捨てた、言い換えると開き直ってしまったのがが立憲だと思っています。
 その感情とは、「立憲のやり方は反対のための反対で、どう国民の生活を良くしようかとか考えてないよね」という物。
 もちろん立憲の方はそれには反論するでしょうけど、多くの人にそう受け止められていたと私は判断していますし、本気で国民の生活を考えていたというならばその発信力が足りなかったと言わざるを得ません。
 だからこそ今回の選挙は、その本質が問われる選挙であり、正念場になると私は考えていました。
 その状況に対して繰り出した方針は、公明党と連合して中道を作るという、傍からは「選挙に勝つためだけの手段」にしか見えない物でした。
 そしてそれが、主に中道に所属した旧立憲に対する止めになったのだろうと私は考えています。
 本質が問われる場で、小手先の技に走った。それがこの選挙での惨敗の最大の理由だろうと思っています。
 なお、二つの政党を連合させる事を小手先?と思う人もいるかもしれませんが、物事の本質ではなく上辺だけを整えるという意味合いにおいて、小手先の技と表現しています。
 こういったやり方は、競技スポーツでいやというほど目にしましたし、自分でも何度も痛い目を見ました。そしてそれは、多くの物事に共通している物だと思います。
 何か問題があって先に進めない、壁にぶつかっている感じていても、その問題を解決する事に大きな痛みを伴う場合、先送りにしたり別の部分を取り繕ったりして何とかしようと考えるのは、非常にありがちな思考です。
 しかも、それで短期間においては効果があがったりするからなお質が悪いのです。
 長期的にはほぼ必ず行き詰るので、なら最初から問題の本質に対処して置けというのはその通り。けれどもそれを最初から行うのは中々にしんどいのです。
 とは言えそれでも、その本質を問われる正念場はいずれ必ず訪れます。その場においても本質に対処しないのであれば、そこまでの人間にしかなれないですし、他者が絡む問題であれば完全に信用を失う事でしょう。
 今回の中道の失敗はこの点における極めて典型的な例だと感じたので、他人のふり見て我がふり直せという事で改めて自分にも刻もうと思いました。

 そして2点目の自民の大勝について。
 確かに今回自民は歴史的大勝でしたし、その選挙に挑む前の高市政権の高支持率もその理由の一つではあるでしょう。
 ですけど、額面通りに自民が支持されたかと言えば、必ずしもそうでは無いと考えています。
 むしろ、中道の失敗の所でも述べたように現状維持を望む、良いから仕事をさっさとしてくれという、消極的支持も少なくなかったのでは無いかと思います。
 そもそも数か月前までは、少数与党に甘んじるほどの支持であったのが、高市政権に変わるだけでここまでになるとは流石に思えない。
 だからこそ自民党内部にも改革の動きがあって、これまでの体質を変えなければならないと考える人たちも増えていた状況だったはずです。
 けれどその動きが身になる前に選挙で大勝してしまった。それ故に自民は、変えていく原動力を失ったと言えるでしょう。そしてかなりの確率で、旧来の体質が維持されるはずです。
 このような例も競技スポーツでは割とよくあります。
 自分に問題があって、この先に進むためには本質的な見直しが必要だと考えていたのに、思いもかけず大きな結果を出してしまう。
 別に問題が解決した訳ではないので先細る状況は変わらないんですが、なまじ結果が出てしまったため、このままでも良いのではないかとつい現状維持を選んでしまうのです。で、結果痛い目を見ると。
 競技スポーツは殆どのケースにおいて実力に見合った結果が返ってくるものですが、稀に実力よりもかなり大きな結果を残してしまうことがあります。
 それが自信を得るという良い方面に働くこともありますが、その結果が足かせになることも往々にしてあります。
 自分に残っている問題から目を背けたり、本来ならば自分の実力ならば負けてもおかしく無い場面で負けることを恐れたりといったことです。
 そして最悪なケースは、自分の身の丈に合わない実績だけに縋るようになること、負けることを恐れて勝負そのものを避ける様になることです。

 先に挙げた二つは、どちらも自分の問題の本質から目をそらしてしまう、あるいはそらしてしまったばかりに起こるケースとして、とても典型的な例だと思ったので、政治的な話題ではありましたがあえて取り上げました。
 これは競技などの勝負の場ではなくて、もっと日常的な場面でも普通に起こりうることです。
 何か問題があったときに、対処していないのにその問題が解決することは基本的にありません。それが己自身の事であれば猶の事です。
 そして、上辺を取り繕うだけでは対処出来ない場面、いわゆる念場は必ず来ます。その時に小手先の対応に逃げない事は、分かっていても難しい。
 特にその問題が大きかったり難しかったりすれば、より安易な道を選びたくなります。
 けれどそこで小手先の解決法を選べば、結局先は無くそれ以上歩みを進められないという事は忘れずにいたいものです。